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新作について

この話はちょっと視点を変えた作品です。

ほっこりしたお話になるかと思います。
ある施設を舞台に起きる様々な出来事からメンバーと主人公の交流を描きます。

それではどうぞお付き合いいただければと思います。
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1

「申し訳ないが来季の契約は結ぶことができない…」

普段着なれないスーツを着て入団の時に見たお偉いさんたちが神妙な面持ちで俺のクビを斬った。

そう。俺はプロ野球選手だった。
二十年以上夢見てようやく叶えたがここでいとも簡単に断たれてしまったのだ。


「今後はどうする?何ならトライアウトまでは施設は自由に使っていいが…」

俺はまだ現役を続けるとも引退するとも言っていないのにいきなりトライアウトの話か。
つまり球団は俺を職員などで起用する気は更々ないようだ。

いくらトライアウトを受けようが俺の場合は一軍での実績も乏しいし第一もうあのスイングは戻らない。
ここが潮時だと思った。

たとえ他球団に拾われても1年や2年でまた同じことになる。
そうなってきた仲間を何人も見てきた。
プロになってああよかったなんて思い出もないし後から困りたくはない。
まだ若いうちに身を退いた方がよさそうだ。


「いいっす。俺は引退します」
「そうか。じゃあせめて最後に一度だけバッターボックスに立ってみないか?」
「は?」
「いや監督がもし辞める選手がいるなら最後に打席だけでも立たせてやってくれないかって言っていたな」

監督がそんなことを…。

でもそんなことしたらまた野球やりたくなっちゃうじゃないか。
せっかくやめるって決めたのに。


「せっかくなんですが…」

これでいいんだ。

2

ロッカーを整理して寮から荷物を出して全てを出した。
これでいいんだ。

ふとグラウンドの方を見ると昨日までの仲間たちが汗を流している。
俺もこないだまであそこで地獄のノックとランニングをやって汗を流したよなあ。
コーチに激しくゲキを飛ばしてくれてくれた。
すごい嫌だったけどそれ以上に愛情を感じた。
みんな俺の復帰を信じて付き合ってくれたっけ。

おっと。このままでは気が変わりそうだ。
俺が契約金で買ったランクルに乗り込んだ時だった。


「おう!もう行くのか?」
「井上さん…」

声をかけてきたのは打撃コーチだった井上さんだった。
井上さんも俺が退団を告げられた日に同じくコーチ契約を解除された。
俺とは違い投手から野手に転向して長年レギュラーを張り一線で活躍。
華々しく引退してコーチになったが少し成績が不振になっただけで職を奪われる。

改めてプロの世界の厳しさを痛感した。


「お前もうアテはあるのか?」
「井上さんはあるんすか?」
「まあ俺は幸いなことに解説の仕事が出来ることになってな。それよりお前だよ」
「まぁ実家帰ってゆっくり職探ししますよ」
「お前それじゃアカンわ」

井上さんのアカンわ。これはまたズシッとくる。
確か入団当初打撃フォームを見て、言われて俺はフォームを改造した。
たかだか数センチの足の上げ方だ。

しかし、それがハマると俺は二軍戦でヒットを量産して一軍に呼ばれた。
井上さんのアカンわは聞き捨てることはできない。

「何がアカンのですか?」
「だってお前。強がってるように見えるぜ」
「いや。俺は別に…」
「いいんだって。野球辞めてく奴はみんなそんなもんだよ」
「じゃあ一体どうしたらいいんすか?」

俺はそう尋ねると井上さんは待ってましたと言わんばかりの表情で近付いてきた。

「お前。田舎暮らし出来るか?」
「は?」
「すまん。単刀直入に言うわ。実は俺の姪っ子が働いてる施設で今世話役を募集してるんだよ」

俺が施設の世話役?
一体何の冗談だ?
井上さんは形振り構わず言っているのか?

いや。井上さんはそんな人じゃない。
ちゃんと選手一人ひとりを気にかけてくれる人だった。
これは俺に適任だと思って言っているに違いない。


「何で俺なんすか?」
俺は井上さんに直球のストレートを投げた。果たして井上さんは何を返してくるか?
話を逸らすようにスローカーブかあるいは完全に横に置いたスライダーかそれとも…。

すると井上さんは思いもよらない返球をしてきた。

「まぁー行ってみりゃ分かるわ。少なくともお前ならいつかな」

はぁ?
おいおいどういうことだよ。意味が分からないぞ。

俺が戸惑っているうちに井上さんは消えていた。
俺は雲ひとつない青空を見上げる。

「こりゃ。行くしかねぇな」

こうして俺は華々しいプロ野球から片田舎にある小さな養護施設に行くことになった。

3



「おいおい。ナビが役に立たないってどういうことだよ」

俺は車から降りると周囲を山々に囲まれた畦道で迷っていた。
また思った以上にとんでもない場所だ。

こんなところに本当に養護施設なんかあるのかよ。
俺は井上さんに騙されたんじゃないかと思った。

スマホを見れば見事に圏外。
今時電波も拾えない場所が日本にあったとは。

俺は貰ったパンフレットを見ながら頭を掻いていると何やら音が聞こえてきた。
これは何の音だ?

もしや草笛?
それにしても上手だな。
これは一体何の曲だったっけ?

思い出は~い~つ~も…。

なるほど。

見事にハーモニーになっている。

いや待て。つまり人がいるわけか。
俺は音が聞こえる方に歩いていった。


歩いてすぐのところに小川が流れていて土手の草むらに一人の白いワンピースを着た少女が草笛を吹いていた。
俺は邪魔をしちゃいかんと思ってその音が止まるのをじっと待っていた。


二分経過したところで音は止まった。
俺は少女の後ろで拍手をする。

「ああ。ごめん。つい聞き入っちゃって…」
「あの…。何か?」

少女が不思議そうな表情をして尋ねてきた。


無理もないよな。
見ず知らずの奴がいきなり拍手しているなんて気持ち悪い限りだ。

「ごめん。実は乃木坂園という児童養護施設を探しているんだけどね」
「乃木坂園?あぁ。でしたらこの先をまっすぐ行くと川があって小さな橋があるのでそこを渡って突き当りを左に曲がれば見えますよ」

少女は笑顔でかつサラッと道を教えてくれた。
俺は何とも言えない不思議な気持ちになった。
どうしたらいいんだ?
とりあえずお礼は言わないとな。

「どうもありがとう。助かったよ。それに…」
「それに?」
「い、いや。君の草笛は今までで聴いた音楽の中で最高のものだったよ。じゃあこれで…」

俺はそう言うと足早に駆けていき車に乗り込んだ。

何だ?
すごく顔周りが熱いぞ。それに胸も苦しい。
まさか恋か?い、いやそんなはずない。まだあって数分しかないんだ。そんなはず。

俺はエンジンをかけるとギアを入れて目一杯アクセルを踏み込んだ。

4

俺は少女の言うとおりに道を進んできてようやく学校らしき木造の建物が見えてきた。
なかなか綺麗じゃないか。
俺は予想より綺麗な建物を見てホッとした。


「お待ちしてました!乃木坂園にようこそ」
車から降りた俺の目の前にツインテールの女性が駆け寄ってきた。

「君が小百合ちゃんか。伯父さんから聞いたよ。これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします。それにしても…。いかにもプロ野球選手って感じですよね」
「プロ野球っていってもたった5年しかいなかったけどね」
「いやそれでも凄いですよ」
「それに俺はずっと野球漬けだったから本当に素人以上に酷いかもしれないけどよろしくね」
「大丈夫です。やる気さえあれば必ずみんなと仲良くできますよ」
「やる気か…」

建物の中に入ると急に緊張感が襲ってきた。
まるでドラフト指名を待っている時のような不安感だ。

まさかこれほどの緊張感をこんなところで味わうとは夢にも思わなかった。
あの時はプロで必ず球史に残る選手になったろうとばかり頭に描いていたからだ。
まあ大抵の野球選手はそうだろう。

しかし、ギシギシという廊下を一歩一歩進む音がまた何とも言えない気分にさせる。
これは入団発表会見の時に感じた。
何度味わっても嫌なものだ。

早くこの場から解放されたい。
今までグラウンドであちこち動き回っていた俺にとってまさに現状は苦痛でしかなかった。

しかしもはやグラウンドに戻ることはできない。
俺がいまいるべき場所はここ。そうここがグラウンドだ。

やってやろうじゃないの。
そうこう考えているうちにいつの間にか園長室の前に立っていた。

5

「園長。新しい先生をお連れしました」

先生?もしかして俺のことか?
先生なんて生きているなかでそんな風に呼ばれるなんて夢にも思わなかった。
まともに選手とも呼ばれず、毎回呼び捨てでしか呼ばれなかった。
まあ後輩にはさん付けで呼ばれたけど。


「あら?また随分いいカラダつき。さすが元プロ野球選手ね」
ふと振り返った園長はとても横幅が広く何と言えばいいのか。かなり太っている。
しかも男なのは分かるが、完全に女性モノのドレスに厚化粧。
俺は想像していた姿とは程遠い園長の姿にただ唖然とした。

この圧倒感はヤクルトのバレンティンを見た時に感じて以来だ。
あの豪快な威圧感を感じる。
俺はこの時とんでもない場所に来てしまったと思った。


「あっは、はじめまして…」
「自己紹介は結構。だってあんたのプロフィールは大半がここに書いてあるから」
園長はそう言うと今年度の野球選手名鑑を取り出した。

プロ野球選手は毎年春季キャンプの時期に野球選手名鑑が発行される。
選手の経歴、生年月日、出身地に血液型、さらには好きなタレントやら軽い講評まで載せるところもある。

ルーキーイヤーに初めて見た時は本当に嬉しかった。
自分がプロ野球選手になったんだと初めて実感したのもその時だった。



「あらごめんなさい。私が園長の松子です」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
「まぁこんなデブなオカマがこの施設のことをグダグダ話しても仕方ないしあとは小百合に任せるわ」

松子園長はそう言うと園長室の後ろにある扉から出て行った。
普通に歩いていくだけなのに何やら振動を感じる。
それが更なる威圧感というかオーラを放っているように思えた。

6

「こちらがみんなが生活している建物です」
小百合ちゃんに連れられた俺は施設に入所している子たちが生活している建物に足を踏み入れる。

そこで俺はあることに気付いた。
普通児童養護施設というのは小さい子たちから高校生ぐらいの子たちが生活する場だと聞いた。
実際プロ時代先輩の選手とともに訪問したこともあるから分かる。

しかしこの施設は何か違う。
何しろ周囲はよく似た女の子たちしかいない。
しかもやたら数が少ない。

一体どういうことなんだ。
俺は明らかにここが一般的な児童養護施設とは違うと感じた。


「ねぇ。思ったけどここには男の子や小学生ぐらいの子はいないのかい?」
俺は思い切ってこの疑問を小百合ちゃんにぶつけてみた。

「ええ。ここには35名ほどの子たちしかいません」
「何故そんなに少ない人数だけ…」
「彼女たちは少々事情がある子たちなんです」
「事情?」
「ええ。そのうち分かると思いますよ」

事情?一体どういう事情なんだよ。
俺は何も言われなくても何か重い事情があるのだと思った。
とんでもないところに足を踏み入れてしまったなあ。
ああ。あそこの戸から出てさっさと車に乗って逃げだしたい。

俺は心の中で善の自分と悪の自分と闘っていた。

7

「じゃあ夕食の時にみんなに紹介するんでそれまでは荷物の整理でもしててください。あっこちらが先生の部屋です」


職員が寝泊まりする部屋は同じ建物の1階にある。
基本は近辺に住んでいるそうだが、ここは賃貸アパートも借家もないので生活する場はここしかないという。
幸い誰も使用していないとのことなので寮で生活するのと変わりはない。


最後の荷物を車から降ろして部屋に運ぼうと歩いていた時だった。

どこからかピアノの音が聞こえる。
誰かが弾いているのだろう。
俺は気にせず自分の部屋へ向かっていた。

すると俺の目にどこかで見覚えのある顔が飛び込んできた。

あれ?あの子どこかで…。
一体どこで見たんだっけ。まだ最近のことだぞ。

そうか。
ここに来る前に土手で草笛を吹いていた子だ。

ここにいる子だったんだ。
俺はしばらく彼女が力強く弾くピアノの音色を聴き入っていた。

ピアノだったりクラシックみたいなのは全く疎い。
そんな音楽をまともに聴いたこともない。

そんな俺でも分かる。

彼女は天才だ。

8

ダァン!

彼女がピアノを弾き終えた時だった。
俺は手に抱えていた荷物の存在を忘れていた。
手を離した瞬間に重さおよそ2キロはあるであろう段ボール箱が俺の右足の指に落下した。

「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

俺の足に強烈な激痛が襲う。
野球生活においてデッドボールは何回もあったがここまで痛いものはなかった。

まるで大谷翔平のストレートを至近距離から当てられたような感覚だ。
俺はその場に倒れこんで痛みで悶えていた。


「大丈夫ですか!?」
彼女が駆け寄ってきた。

昼間と違い随分な醜態を晒してしまったものだ。
俺は恥ずかしいと思い痛みをこらえて立ち上がる。

「ああ平気さ。いや君のピアノが上手くて拍手しようと思ったらさ」
「でも足が…」
「ああいや。大したことはないさ。すぐにおさまる」

何だ。また体全体がぽかぽかとしてきたぞ。
それに何故彼女の顔を直視できないんだ。
本能的にそんな行動に出ている自分に俺は理解できないでいる。

しばらくの沈黙の後、彼女から重い口を開く。

「もしかして今度新しく来るという元プロ野球選手の…」
「何だ。知っていたのか。無理もないか」
「あっ私生田といいます。生田絵梨花です。じゃあ…」
「え?ちょっ…」

彼女はそう言うと足早に音楽室を出て廊下を駆けていった。



生田絵梨花。

彼女の名前を聞いて俺は何故か納得した気持ちになった。
そして、ここから俺の人生は大きく動き出すことになる。

これから先に起こる様々なことを予期できるはずもない。
何故なら俺の頭の中には彼女の表情しか浮かばなかったからだ。

9

「まったくお前たちは毎回毎回ペラペラペラペラやかましいわね」
松子園長がいかにも不満そうに食堂に入ってくる。
どうやら賑やかな食堂の光景が気に入らないらしい。

「園長だっていっつも喋ってんじゃん。ベラベラどうでもいいことをさ」
「永島。お前が偉そうに言うんじゃねぇよ。おい誰だ今日の当番は?」
「確かまあやじゃない?」
「え?私?」
「え?何。お前たちは自分たちで決めたことも憶えてないのか?」

夕食前にこんな賑やかな風景はあまり見覚えがない。
普段は寮で男たちが食べることに必死でロクに会話もせずネタも野球ばかり。
しかもかなり厳しかったし食べ終えたら練習して寝る。
こんなおしゃべりをする余裕すらなかった。

思えば女性だらけに囲まれて食べること自体が初めてだ。
今日は人生の中で一番多くの初体験をしている日だといえよう。


「ていうか私がこうして来たのには理由があるわ。まぁもう分かってるんでしょうけど」
「知ってる。あの人でしょ!?元プロ野球選手の…」
「確か巨人にいたんでしょ?」
「えー!すごーい!」

何となく予想はしていた。
幾らこんな片田舎の女の子でさえやはり巨人ブランドは大きいものなんだと痛感した。

見るからに彼女たちが野球に興味があるとも思えない。
しかし巨人はやはり名門チーム。全国津々浦々回ってもスターのような扱いになる。
今回も初めて会ったばかりの女の子たちから質問攻めにあうのもやはり巨人という名前があるからだ。


「俺たちはユニホームを脱いでもこの名前につきまとわれる」
かつて引退した先輩選手から言われたこの言葉の意味を今理解した。

10

夜の静かなグラウンド。
ここは元々中学校だったのだと小百合ちゃんから聞いた。
しかし、過疎化や少子化も影響して5年前に統廃合されてしまったそうだ。

野球部もあったそうで道具も粗悪ではあるが残されていた。
これなら簡単な練習もできそうだ。
今日は軽くランニングだけにしておくか。


こうして俺はグラウンド周囲を軽くランニングすることにした。
一人でランニングするなんて自主トレでもなかったな。
いつも若手の選手数人でがむしゃらに走っていた。

こいつらよりいい成績を収めたい。
何としても二軍暮らしから脱却したい。
早く後楽園のドームで試合に出たい。

こんなことを思って走っていたし、汗を流していたな。

思えば俺、今はただの施設の職員なんだよな。
それなのに走っても何の意味があるんだろうか。
もしかしてまだ野球に未練があるのか。
いや。俺は辞めてここで再出発するって決めたんだ。
もう野球はやらない。
今は早くここでの仕事を覚えてやっていかないと。

色んな思いが交錯して走りに集中できない。
俺はふと足を止めた。
そして、ゆっくりと玄関の前の階段に座り込み、ペットボトルの水を一気に飲み干してタオルで汗を拭った。

その時俺は背後に何やら気配を感じた。

11

「びっくりした。誰かと思ったら…」

俺が振り向くとそこに立っていたのは生田だった。

「ごめんなさい。眠れずに部屋から見たら先生が走ってるのが見えて…」
「あぁ。なかなか昔の習慣が抜けなくてな」
「何となく分かります。でももう野球選手を辞めたんですよね」
「あぁ。野球とは綺麗さっぱり縁を切った。だからここに来たんだ」
「でも辛くなかったんですか?せっかくプロ野球選手になれたのに…」
「そりゃ最初はね。案外あっさりとクビになった。まぁだから諦めつけるのは早かったさ」
「でもまだ戻るチャンスはあったのにどうして?多分子どもの頃から野球をしてたはずじゃ…」
「まぁな。5歳から少年野球チームに入り、高校から親元離れて強豪校に入学。そして名門社会人チームで3年やって巨人に入った」
「何かすごい…」

生田が初めてほほ笑んでくれた。
この笑顔は玄関を照らすLEDの白いライトよりも眩しく見えた。

「まぁ結局5年やって一軍じゃ1本しかヒット打たず最後の2年間は一軍すら呼ばれずに終わったよ」
「そうだったんですね。やっぱり夢って簡単じゃないんだ」
「そりゃあそうさ。しかもスポーツの世界は若いうちだけでセカンドキャリアの方が長いからね」
「だから引退を」
「そう。いつまでも野球にしがみついたところで年齢は上がるし体力も衰える。現にまともなスイングすらできない俺がやっても無駄さ」

一体何を語っているのだろう。
しかし真剣に聞いてくれる生田を見て俺はかつてプロへの夢を追いかけてた時代を思い出した。

「生田ちゃんだっけ?ごめん。何とかみんなの顔と名前を覚えようとしてるんだけどモノ覚えが悪くてさ」
「いいんです。それにみんな私のことはいくちゃんって呼んでるので先生もよかったら…」
「ああ。じゃあいくちゃんは夢あるの?」
「えっ!?」

俺、何かマズイことを聞いてしまったか。
生田は俺の問いかけを聞いて驚いたような表情をしていつの間にか悲しげな表情になった。
そんなとんでもない質問だったかな。

「あっ…いや。今日草笛とピアノを聞いてさ。すごく良かったからもしかしたらピアニストとかになりたいんじゃないかってね」
俺は必死にフォローをしようとしている。
彼女を傷つけたくない。

しかし、そんなフォローがかえって傷口に塩を塗るような愚行となることもある。
生田は立ちあがって玄関の方へ歩いていく。

そして去り際に放った一言は俺に衝撃と疑念をもたらせた。







「私…。夢を見ちゃいけないんです」

こうして去っていった生田を引きとめる言葉は俺の頭の引き出しからは何も出なかった。
そして、彼女が立っていた階段のところに小さく丸いシミが出来ていた。
これが彼女の目からこぼれおちたものだと容易に想像できた。

あーくそったれ。

俺はがむしゃらに走りだした。
まるで彼女を傷つけた自分を戒めるように。

12

翌日。

俺の仕事は朝5時にスタートする。

「おはようございます。早起きなんですね」
小百合ちゃんが笑顔で挨拶をする。

「ああ。朝練で毎日この時間に起きてランニングやノックをやってたんでね」
「やっぱりプロ野球選手って凄いですね」
「そんなことないさ。今ドラゴンズにいる小笠原さんなんて俺らより前に練習してたからね。実際あの人より早かったことはなかった」
「小笠原って…」
「そう。あんな大打者で軽い感じでヒット打ってるけど努力は並々ならなかった。俺の打撃指導も付き合ってくれたしね」

そう。上には上がいるということだ。
俺は今まさにここではルーキー。
やれることはとにかく仕事を早く覚えて戦力となることだ。

俺に与えられた最初の試練。
それは起床係。
小百合ちゃん曰く新人が通る道なんだそうだ。


「起きろ!何時だと思ってるんだ!!」
俺が大きな声でひとつの部屋に入る。

「きゃあ!」
「ちょっとスッピンなんだから勝手に入ってこないでよ!」
「だったら早く起きたらいいじゃないか!起床時間は6時だぞ」
「もういいからさっさと出てってよ!!」

そう声を荒げた少女たちがいきなり枕で直球のストレートやスライダーを投げ込んできた。
四方八方から投げられたものを捕球できるはずもなく顔面や腹部に直撃して倒れこむ。

こんなデッドボールは有り得ない。
プロなら大いなる反則技だ。

俺は寝起きの少女たちはどんな速球型やコントロールの悪いいわゆるノーコンの投手よりも恐ろしい存在だと学んだ。

13

「お前たち!朝っぱらからダラダラ歩いてきてんじゃないわよ!!」
「うるせーよ。オカマ園長こそ朝からギラギラした衣装着てんじゃねーよ」
「何だまりっか。お前だって朝から丸いじゃねーか」
「丸い顔は元々。それに私は小顔なの。園長は余分な肉が多くて丸いんじゃん」

それを聞いた少女たちは爆笑する。だが、園長は怒りの導火線に火が付いてしまったようだ。

「お前は毎回毎回…」


いけない。

俺は本能的に園長を制止する。
まるで乱闘寸前のようだ。

プロに入って一度だけ大乱闘寸前になるゲームがあった。
その時も俺は止めに入ったがブチキレした相手球団の外人野手が臀部に強烈な蹴りを入れてきた記憶はある。
その時の記憶がよみがえってきた。

「まったく朝から気分悪いわね。あたしゃ園長室で食べるわ!あんたらあとはしっかりやっときなさいよ!」
そういって園長はドスドスといつもより強い足音で去っていった。


「もうあんたたちときたら…」
頭を抱えているのは橋本奈々未。

この学園の副園長で施設職員主任でもある。

「つかそもそもあんなオカマが園長とかありえねーし」
「私たちがどうせワケアリだからしょーがないんだよ」
「ちょっと。少しは橋本先生の話を聞きなさいよ!」

不満たらたらの少女たちの中にもしっかりした者はいるようだ。
だがこういう優等生タイプは集団においては嫌われ者の賊軍。
それはどこの世界でも同じようだ。

「うっわぁ~さすがかりん様。いい子ぶっちゃってね」
「こんなとこで媚売ったって社会に出たら所詮同じクズじゃん」
「あー朝から気分悪い。部屋戻ってゲームしよ」

朝からまるで戦場だ。
俺はただ少女たちの過激さにただただ圧倒されるだけだった。

14

「じゃあ。先生には体育の指導、監督をお願いします」

橋本に言い渡された次なる責務。
何となく来る時からは分かっていたことだ。

「確かにアスリートでしたけど野球しか分かりませんよ」
「構いません。運動の基礎だけを教えてくれればそれで」

ここは児童養護施設なのに独自で授業をやって指導をしている。
彼女たちは学校に行かないのか。

まぁいいか。今は教えることに集中しよう。




「いいか。まずはきちんとだな…」
ジャージ姿の少女たちはダラダラと準備運動をやっているようだ。
まったくこいつらときたら。怪我してからじゃ遅いんだぞ。

「おいたかがストレッチだと思ってるようだがこれを怠って人生棒に振った奴もいるんだぞ」
俺がそう言っても誰も聞く耳すら持たない。

すると彼女らは近くにあったボールとバットを持ってやってきた。

「おい何だよ」
「私たちに命令するなら特大ホームラン打ってみてよ」

急に何を言い出すかと思ったら。
小百合ちゃんからワケアリとは聞いていたが想像以上だ。
どうやら俺を試しているようだ。

野球をさっぱり忘れて今の仕事に専念したいのにこいつらはそれを利用したいのか。
あるいは打てずにやっぱコイツクビになった奴じゃんと嘲笑いたいのか。
いずれにせよこんなのに乗っかるわけには…。

いや。ここはあえて乗ってみて打ってみるのも悪くない。
このグラウンドの幅は練習場よりも狭い。柵越えも可能だ。
しかもこいつらはご親切に金属バットを持ってきてる。
これはイケるかもしれないぞ。


「分かった。じゃあ俺があの柵を越えたら今後は俺の指導に背くなよ」
「言ったなー。じゃあ私たちが勝ったらさ。東京ドーム連れっててよ」
「ああいいとも。選手にも間近に会わせてやるよ」

ここは大口を叩いた方がいい。
余計に自分の魂が鼓舞するからだ。

「じゃあ誰投げる?」
「川後でいいじゃん」
「任せといてよこう見えてもドッジは強いんだからさ」

川後陽菜がそう言ってマウンドの上に立つ。
俺はバットを持ち、一礼して右バッターボックスに立った。

しかしながらプロでも素人の投げるボールが一番打ちにくい。
大した球速もないからタイミングが取りづらい。

だが打つしかない。
俺は最初に東京ドームのバッターボックスに立った時を思い出した。

15

「じゃっいくよー」
川後の投げたボールは何とも遅くコントロールの悪いボール球。


いやまだだ。

今だ。

俺は全力でスイングした。


ピキィーン!!!



甲高く響く金属音。
俺はついバットを捨てて走り出した。

いける。

あの距離なら。


少女たちも唖然と空を見上げる。

そして俺が打ったボールはあっさりと柵を越えて見えなくなった。



見たかお前ら。
これが俺だ。


一蹴した俺はホームベースを踏むと唖然とした彼女たちにガッツポーズを見せた。

16

「ちょっとアンタたち。どうしちゃったのよ」
大きな口でカレーライスを食べた園長が唖然としていた。

朝には大騒ぎしていた少女たちがまるで他人のように大人しくなっていた姿を見て驚いていた。

「そういえば体育の時間の後は私だったんですけどみんなうわの空でしたね」
小百合ちゃんがそう言うと園長が俺に詰め寄ってきた。

「ちょっとアンタ何やったのよ!?」
「いえ。ただ彼女たちのリクエストに応えた。そして俺の言うことを聞いた。ただそれだけですよ」
「へぇ。あのどうしようもない奴らがこんなに大人しくなるなんてアンタやっぱプロ野球入れるだけあるわね」
「いや、アハハ…。じゃあ片付けあるんでこれで」

どうも園長は苦手だな。
あんな派手で丸くてかつ威圧感が凄い人は見たことがないからな。
まぁそのうちに慣れるだろう。

俺が食器を流し台に置いた時だった。

17



「何やここホンマに乃木坂学園の食堂かいな?エライ静かやから場所間違えたかと思うたわ」
突然スーツ姿で関西弁の茶髪の男と後ろにスーツを着た女性二人が現れた。

「うわ来たエセ関西人村上」
「わざわざクズな私たちの顔が恋しくなったの~?」

俺は隣にいた小百合ちゃんに声を掛ける。

「あの人らは?」
「ああ。乃木坂警察署生活安全課の村上信五警部補です。あの二人は新人さんかな?」

警察?
何でこんなところに?
俺にはまったく理解できなかった。


「あの警察の方が何か?」
俺は村上に尋ねた。

「あぁ。新人の職員さんかいな?乃木坂署生活安全課の村上言いますわ」
「同じく桜井です」
「若月です」

3人はそう言うと自慢するかのように警察手帳を見せた。
初めて見る警察手帳に俺は少し引きそうになった。

18

「おい誰かと思ったら国家権力振りかざす村上警部補じゃないのよ。よっぽど暇なのかしら警察は?」
そこへ園長がものすごくイライラした様子でやってきた。

「アホか。めっちゃ忙しくてこんなとこ二度と来たないわ」
「だったら何しに来たのよ?またしょうもないことだったらタダじゃ済まさないからな」
「まぁええわ。おい、齊藤と北野どこにおんねん」

村上はそう言うと齊藤飛鳥と北野日奈子の方を睨みつけた。

「齊藤3人いるんだからどっちか分かんねーよ」
飛鳥が反論すると村上が不機嫌そうな顔をする。

「北野とつるんどる齊藤はお前しかおらへんやろ!」
村上はそう言うと手帳で飛鳥の頭部を叩いた。

「あー国家権力が叩いた。暴行!暴行!」
北野が村上を指すも慣れているのか村上は表情一つ変えない。

「うるさいわ。お前らの為にわざわざこんな片田舎まで来とるんじゃ」
「それで、この手羽先ときい坊が何しでかしたっつーんだよ」
園長が尋ねると村上は憎たらしいような笑みを浮かべた。

「お前ら一昨日乃木坂商店街の乃木デパートにおったやろ?」
村上がそう尋ねると二人はビクッとして落ち着きがなくなった。

「ちょっと二人ともその日は体調悪いって休んでたんじゃ?」
「ななみんもホンマお人好しやなぁ。だから調子こいて仮病して脱走するんやで。おい桜井」
「実は一昨日デパートの中にあるこちらの本屋から通報があってある本が二冊足りないそうです」

桜井刑事がそう言うとタブレットを取り出して足りないという本の画像を見せる。
それを見た二人は目を逸らす。

そして桜井刑事が若月刑事にタブレットを渡すと今度は何かの映像が映し出される。
これを見た二人にもはや先ほどの勢いは感じられない。
村上はしてやったような顔をしている。

「つまりこいつらはここにおらなあかん時に街に出てデパートで本を万引きしとったわけや」
「証拠もあるので言い逃れはプラスにならないと」
「まったくいくらこんな片田舎に放り込まれても手癖は治らんようやなぁ」


もしかして小百合ちゃんが言ってたワケアリって。

「おぉ思い出したでアンタ。こないだ読売クビになったんやってなぁ。よかったのぉあんなとこ出られて」
いちいち鼻につく言い方をする。
大阪人故なのか。
警察という国家権力の上に立っていて自分が偉く思えるのか。
いずれにせよ他のみんながはらだちを覚えるのも無理はない。

「ええか。ここにいる奴らはみんな俺ら警察の世話になっとるか親とか学校が危ないといって入れたワケアリばっかやねん」

そう。村上の一言で俺は小百合ちゃんの言っていたワケアリを理解した。

ここは児童養護施設ではない。

児童自立支援施設だったのだ。

19

「まぁそういうことや。お前ら署まで来てもらうで」
「はぁふざけんなよ!?」
「飛鳥もきいちゃんも万引きなんてやるわけないじゃん」
周囲で少女たちが村上に罵声を浴びせる。

「ちょっと待ってください」
俺がそう言うと不機嫌そうに村上が振り返る。

「何ですかぁ?もう俺らも忙しくてこれ以上長居する暇はないんやけど」
「いや、ちょっと変だと思って」
「はぁ?ちゃんと防犯カメラの映像が残ってんねん。こいつらがやったに決まってるわ」
「でも肝心のモノはあるんですか?」
「盗った本か?こいつら盗って近くの古本屋に売ってたわ。すぐに店員が新品に気付いたけどな」

それを聞いた飛鳥と北野は首をかしげた。と同時に戸惑う様子も伺える。

「え?売ったってどういうこと?」
「私たちそんなの知らないよ」
「何言うとんねん。店員もお前らの写真見せたらそうや言うてたわ。シラ切るんなら今日は帰れへんで」

村上たちは聞く耳を持たない。
そして桜井刑事が飛鳥の、若月刑事が北野のそれぞれの腕を掴んで食堂を出て行った。

「時間ないんや。はよ乗れや」
二人は離されてそれぞれ別のパトカーに乗せられる。
少女たちは飛鳥と北野の名前を叫び続ける。
なかにはパトカー目がけて石を投げようとする者もいた。
さすがに俺が制止した。

パトカーは土煙を上げながらゆっくりと学園を後にした。







「奈々未。中田に連絡入れといてちょうだい」
「分かりました」
園長は橋本にそう指示して園長室へ戻っていった。

20

齊藤飛鳥は3年前に乃木坂学園に入園した。

小学校中学年あたりから近所のコンビニや文具店などで万引きを繰り返した。
特に強いストレスを感じるとモノを盗みたくなるようだ。
両親は何度も精神科や心理療法士に診せるも効果はなかった。
どうやら急にモンスターが現れたと思いこんだそうだ。

しかし実はそうなるきっかけがあった。
小学3年生の頃に人気の女の子が持っていたレアな消しゴムが消えたという。
飛鳥は否定するも飛鳥の筆箱から見つかったことで担任教諭から激しく罵倒された。
さらには当時の校長が厳罰主義者で飛鳥のやったことを校内新聞や朝礼で話すなどして居づらくさせたのだ。

だが、これはその女の子と仲間たちが仕組んだ狂言だったことが後に発覚する。
しかし分かっても彼女たちは何のお咎めもなかった。

こうしたことが鬱積して彼女の盗み癖はさらに悪化して警察の知るところとなる。
そして両親が下した決断は乃木坂学園への入所だった。
入所以降は両親とは絶縁状態。仲間とは何かと可愛がられてはいる。

そして転機が訪れたのは1年前だった。
新たに入所してきた北野日奈子の存在だ。
北野もまたイジメにより心に傷を負い、過ちを犯して入所して来た。
その境遇は飛鳥と酷似しており二人は意気投合した。

なかなか馴染めていなかった飛鳥と北野が仲良くやれることで仲間の絆も深まった。
生活や学習の態度も向上しつつあると評されている。

21

夜になって飛鳥と北野は保護観察官の中田花奈と共に戻ってきた。
警察に行ってから戻るまで終始ダンマリだったそうだ。


二人の表情を見ているとどうも何かを隠している。
どうやら二人のほかに誰かが絡んでいるに違いない。

しかし何だろう。
まだ出会って一日ぐらいしか経っていない彼女たちにここまで肩入れしている。
ファイルを読んで彼女たちがかつてやった過ちを見たらまたやっても不思議はない。
実際体育の時も二人はおしゃべりばかりで不真面目だったし。

だがどうしてもあの二人がやったんだとは思えない。
それどころか何としてでも守ってあげたいという思いまで芽生えた。


そんな自分をスッキリさせようと俺は今日も走る。
体を動かさないと自分が変になりそうだからだ。
でも必死にダッシュしている間も俺はあの二人のことが頭から離れない。
そんな自分が何故か嫌だった。

あぁちくしょう。
全然スピードも上がらない。
いつもならどんな凡ミスしようが痛恨のエラーをしようが走れば忘れられたのに。
どうしたんだろう。


俺はランニングを切り上げてバットを持つ。
そしてひたすらスイングする。
色々足の上げ方などを考えて頭でイメージして振る。

ダメだ。
思うようなスイングにならない。

そういえば岡崎さんに言われたっけなあ。
「雑念があったらスイングに現れるぞ」って。
あの頃は何を言っているんだと思ったがまさか引退して気づくとは。
現役の時に気づいていればもっとヒット打てたかもな。

22

「うわぁすごい」
振り返ると生田がいた。
おいまたスイングが乱れてしまうじゃないか。

「何だいくちゃんか。どうした?」
「何か部屋に居づらくて…」
「確かいくちゃんは飛鳥と北野と同室だったな」
「うん。でも二人とも塞ぎこんじゃってて」

生田も暗い顔をしている。
もしかして俺がここまで飛鳥と北野に集中しているのは彼女のせいなのか。
いやそんなはずはない。
だとしたらこれは偶然なのか。

とにかく彼女の笑顔を取り戻したい。
俺は笑っている生田の顔が何よりも癒しになるのだから。


「何か手伝えることないですか?」
「えっ!?」
思ってもいない願い出に俺は戸惑った。
おいおいいきなり言われても困るよ。

どうしよう。
一緒にランニングする。
いや、何かそれも恥ずかしいし理性を失ってしまいそうだ。

「と、とりあえずトスバッティングやるからそのボールを投げてくれないかな?」
「え?私が…」

無理もないよな。
でも俺が今やってもらえるのはこれが限界なんだよ。

「じゃあいきますよ」
生田はそう言うと軽く俺の方へボールを投げた。
それを軽く打ってネットに入れる。

「すごい。私のあんなボールを」
「いや。やっぱいくちゃん凄いよ」

俺はこのトスバッティングをして驚かされた。
生田の投げるボールに自然と反応して今までないスイングが出来た。
自分の理想とした軌道になっているしミートも完ぺきだった。
これは一軍に呼ばれる前に感じたいい感触だ。
井上さんにも褒められて二軍戦では2本塁打を放つなど打撃の調子が上向いた。

一体どういうことなのだろう。
俺はこの不思議な感触に戸惑っていた。

23

「いやぁいい汗がかけたよ」
「私も何か新鮮な気持ちになりました」

ふと空を見上げると星が輝いて見えた。
こんなに星空が見えるとは。

さすがは人里離れた場所にあるだけに絶景だ。
しかもそれを見る生田の表情が何とも言えない。
この喜びは他に代え難いモノだ。



「ところでいくちゃんはあの二人を見てどう思う?」
俺は唐突に質問をぶつけてみる。
生田は最初は唖然としているもすぐに返答してきた。

「そうですね。何か隠しているような…」
「やはりそう思うかい」
「でもあの二人が出会ってからあしゅは本当に誰かのモノを盗む癖はなくなったんです」
「盗み癖がないのにここで戻るというのは何かきっかけがないと出来ないよね。何か心当たりは?」
「それが全然。何であの時仮病を使って街まで行ったかさえ分かんないし」

どうやら何かあったのは間違いない。
俺には分かる。

あんなことがあったからな。

だからこそこのままではいけない。
どうにかしてあの二人を救いたい。
そう思えた。


「いくちゃん。あの二人を何とかしたいから協力してほしい」
「へ?」
「ごめん。でも、どうしても俺はあの二人が抜けだして本を盗ったのには何かワケがあるように思えてね」
「私もそう思うけどどうして…」

どうしてだろうか。
ただその時は昨夜生田が涙ながらに言った一言が俺の脳裏に過った。




「私…。夢を見ちゃいけないんです」

冗談じゃない。


これを機に俺は生田に教えてやりたいんだ。

分かってもらいたいんだ。


誰であっても夢は見ていいんだって。

24

翌日。


俺が肯定の雑草をむしっていると一台の黒いクラウンが入ってきた。
玄関の前で止まり降りて来たのは村上、桜井、若月の3人だ。
相変わらず歩き方も表情も完全に上から目線で国家権力を振りまいている感じだ。

俺はこっそり校舎のところの雑草をむしり、聞こえるところまで歩み寄った。


「何やねん。話あるゆうからわざわざ朝っぱらからこんな山ん中まで来たんや。大したことなかったら覚悟しとけよ」
相変わらず憎たらしい関西弁だ。
そんな彼も警察署では上司の前では180度態度が違うのだろう。
大概こういうところで上から発言する奴はそういうのが多い。


「私が全部やった」
聞こえてきたのは飛鳥の声だ。
全部やったとはどういうことだ。

俺は木の隙間から部屋を覗きこむ。
相談室にいたのは園長、橋本、飛鳥それに刑事3人だ。


「おいお前誰かを庇ってるんちゃうやろな?」
「はぁ?私が誰かを庇うような人間に見える?」
「せやけど何で昨日言わへんかったんや」
「もうどうでもいいじゃん。早く警察でも鑑別所でも連れてってよ」

おいおい。
一体どうしたらいいんだ。
何故飛鳥は自分だけ罪を被ろうとしているのか。

状況が全く分からないなか俺はただ傍観していた。

25

「ほな行くで」

飛鳥はクラウンに乗せられ、再び施設を後にした。
泣きじゃくる北野を赤い目をしてじっと見つめる飛鳥の姿は印象的だった。



「何で急に飛鳥はあんなことを…」
橋本が悲しそうな表情で言う。

「ふん。クソガキが生意気なことやりやがって…」
「園長どちらへ?」
「決まってるじゃない。バカな役人どもに頭下げに行くのよ」
園長は怒り心頭でレクサスLSに乗り込んで出て行った。

児童自立支援施設に入っている子が外に出て悪さを犯す。
そうなれば世間からの風当たりは強いだろう。
そもそも外に簡単に出れること自体は問題視されるだろう。

だったら何だ。
彼女たちを鎖で縛りつけておけってか。
それとも周囲を有刺鉄線や高い壁に囲って閉じ込めておけってか。

それじゃ自立支援施設じゃなく監獄じゃないか。

何事もなければそういうことは子どもの人権軽視だ。
開放的になった方が子どもたちの社会復帰に役立つと言う。
だが一度でも過失があればやれ危険だ。やれ施設の管理体制はどうだと言う。
そして臭いモノには蓋をしておけという風潮になり子どもたちはワケアリというレッテルを貼られるのだ。


昨日本を読みすぎたな。
しかしこのままじゃ益々みんなはワケアリのイロモノになる。
それに飛鳥が何故急に自分だけで罪を被ろうと思ったのかも気になる。







「先生…」
俺はふと振り返るとそこには生田が立っていた。

「何だ。どうした?」
「何か今回のこと私も納得がいかなくって…」
「そうだよな」
「先生なら信じられるかなって思って…」

生田がそう言うと現れたのは伊藤純奈、堀未央奈に支えられていた北野だった。

26

俺は相談室に場所を移して事情を聴くことにした。
しかしまさか俺が直接聴くことになるとは。
まだ来て一週間も経っていないこんな新米の野球バカを信頼しているのはどういうことか。
もしかして生田が。

俺は不思議な思いを隠し、まずは真実に耳を傾けることに集中しようと頭を切り替える。

「一体何でお前はあのデパートにいたんだ?」
まずは出だしから。
直接「何で飛鳥はお前を庇ったんだ」と聞いても答えにくいだろう。

野球も同じだ。
相手がどんな球を放ってくるのか。
過去の投球パターンに相手捕手の配球の要求パターンを照らし合わせシュミレーションする。
力で押したストレートか。
見せるためにわざとスライダーを投げてくるのか。
それとも覚えたての球種を試しに投げるのか。

何十パターンの投球を瞬時に見極める。
これが一番難しい。

当たればヒット。外れたら凡退か三振。
そう。バッターボックスに立てば相手バッテリーとの静かな駆け引きなのだ。
そう考えれば慎重に丁寧に事情を聞くのがベストだ。

しかし北野はダンマリで下を向いている。
焦って答えを引き出そうとしても逆効果だ。

「いや責めてるわけじゃない。実は俺もよく寮から抜け出して街で遊んだもんだよ」
「へ?」
「ああ。野球部やチームの寮ってここ並みに厳しんだよ。門限があったりどこそこには行くなってね。でも行きたくなるのが人の常だ」
経験に勝るものはない。
こうやって実体験を話すことで自分だけが悪者だという考えを取り払おう。そう思った。

「でもバレなかったんですか?」
さすがは生田。いいアシストだ。

「いやバレたときはこっぴどく叱られたし罰走だったりプロじゃ罰金も取られたよ。まぁ今じゃいい思い出さ」
こうやって寮の脱走話を語るうちに北野も段々笑うようになってきた。

いいぞ。
こうやって少し和んだところでさりげなく聞いてみる。

「それでやはりあの本屋に欲しい本があったのか?」
「ううん。そうじゃないんです…」

北野はこうして重い口を開いた。






なるほど。
そういうことだったのか。

だから飛鳥はこんなことを。

俺は確かな手ごたえをつかんだ感じになった。

27

「いいんですか。こんなことやってて…」
生田が心配そうな表情で俺を見る。
俺は澄ました表情でストレッチをする。

「今ここで早まっても飛鳥は殻にこもるだけだ。まぁ俺に任せてよ」
「でも…」
生田の気持ちは痛いほど分かる。
仲間なんだ。
その仲間が今も拘留されている。

きっと少女にとっては辛いに違いない。
そりゃ俺だって今から警察署に救いに行きたいさ。
だが下手に意地になってしまえば余計に事態を悪化させる。
しばらく頭を冷やす時間も与えなくてはね。

だから今は耐えるんだ。

「よし。じゃあちょっと走ってくるよ」
俺は時計を見ると暗い田舎道を走りだした。



ものの見事に何もないな。
周囲は田畑しかなく四方を見れば山々に囲まれている。
音と言えば鈴虫の鳴き声か草木が風で揺れる音に川が慣れる音だ。
まさに自然のBGM。

でもこういうのも悪くない。
もしかしてこんなに空気のいい場所で走るのはキャンプでも経験がなかったな。
俺は何故か足が軽く感じ、スピードが出た。

かなり軽いぞ。
息もきつくないし、もう少しペースを上げるか。

俺は何もない畦道をまるで全力疾走するかのように駆けていった。

28

「マズイな。少し無茶しすぎたな」
若干のブランクは時に足を引っ張る。
俺の場合はまさに足に過度な負担をかけ過ぎたようだ。

どこか休むところはないか。
さすがに人家すらまともにないところだ。
俺はゆっくりと歩いていると小さな教会を見つけた。

こんなところに教会。
俺は不思議に思うもここで一端休もうと思った。


教会の入口前の階段に座り込んで持参したペットボトルに入ったスポーツ飲料を一気に飲み干す。
そしてタオルで顔周りの汗を拭っていた時だった。


「あの…」

「うわぁ!!!!!」

俺は思わず声をあげてしまった。

まさかここに人がいるとは思いもしなかった。

俺の目の前にいるのは修道着を着た若い女性だった。
どうやらここの修道女のようだ。

俺の心臓の鼓動はかなり高まっている。
そして今度は冷や汗が滴り落ちた。

「驚かせてすいません」
「いや、こちらこそすみません。まさか人がいるなんて思いもしなくて…」
「良かったら入りませんか?」
「いやそんな。教会ですし…」
「構いませんよ。神は分け隔てなく歓迎してくださいますから」
「そ、そうなんですか…」

俺はそう言われると教会の中に入った。
俺の家は仏教なんだけどなあ。

まあいいか。


俺は食堂らしきところに案内された。
実に古い教会だ。
床はギシギシいっているし置いてある家具も年代物だ。


「すいません。こんなものしか用意できませんけど」
「あぁすみません」
俺は修道女が用意してくれた紅茶を飲む。
何だろう。すごく美味しいぞ。
まさかこんな片田舎の外れにある教会でこんなに美味しい紅茶を飲めるとは。

「もしかして乃木坂学園にいらした元野球選手の…」
「ええ。さすが人が少ない街だ。噂は早い」
「いえ。私一応乃木坂学園で月に一度説教をしたり懺悔を聞いたりしてるので」
「なるほど。そういえばそういうのもあるとは聞いてたので。しかしまだお若いですね」
「私は深川麻衣といいます。学園の子たちからはシスターまいまいと呼ばれてますが」
「シスターまいまい?全くあいつらときたら何てことを」
「いえいいんです。実は私もあの学園を出た身なので」
「そうだったんですか」

聞くと深川は幼い頃から児童養護施設に預けられていたそうだ。
しかし成長するにつれて問題行動を起こすようになり痺れを切らした施設側が乃木坂学園に移した。
その後も非行を繰り返すなどしていたがある日転機が訪れた。

それがこの教会を預かる深川神父の存在だ。
彼女は深川神父の説教を受けるうちに改心し、修道女の道に進んだという。
そして、5年前に深川神父の養女として迎え入れられたそうだ。

「これが乃木坂学園にいた頃の私です」
「こ、これがですか?まるで川後みたいだ」
「彼女は特に私の話に熱心に耳を傾け、積極的に交流しています」

川後か。
あいつ普段からおしゃべりばかりして不真面目な奴だと思っていたが。
人は見かけによらないものだ。

「ところで先生は何か懺悔したいことはありませんか?」
「えっ?」

俺は深川の突然の申し出に驚いた。
懺悔したいこと。
そりゃあ山ほどあるさ。
でもどこから何を話せばいいんだかさっぱり分からない。

「いや。さすがに遅いですしまた改めて学園にでもハハ…」
「そうですか。でも何かお話したいことがありそうな気がしまして…」
「いやいや。シスターに話せることなんて全然ないっすよ」

俺は笑って濁すと深川も笑みを返してくれた。
おっと。
明日も早いんだ。さっさと学園に戻ろう。
俺は立ちあがり、玄関を出た。

「今日はご馳走様でした」
「いえ。もしよかったらいつでもいらしてください。神はいつでもお待ち申しておりますので」
「ええ。それじゃ…」

俺は軽く屈伸し、走り始めた時だった。


「3年前の10月23日。東京ドームにおけるクライマックスシリーズファイナルステージ最終戦の9回裏二死満塁」

は?

俺は深川の声を聞き、立ち止まり後ろを振り返った。
すると深川は深くお辞儀をして教会へ戻っていった。

一体何なんだあの修道女。
何故あのことを知っているんだ。


俺は何かモヤモヤした気分でその場を後にした。

29

翌朝。

「先生。どうかしたんです?」
「え?」

小百合ちゃんに言われた俺は正気に戻る。
どうやらぼーっとしていたようだ。

無理もない。
飛鳥のこともあれば昨日のあの修道女が余計だ。
くそっ。今日は大事な日なのに。



「おはようございます」
そこに現れたのは保護観察官の中田だった。

「あら。中田どうしたのよ。こんなに朝早く」
園長が不思議そうに見つめる。

「いえ。昨夜飛鳥の件で警察に話すことがあるとこちらの方から連絡がありましたので…」
「あらアンタ。私、何も聞いてないわよ」

園長が不機嫌そうに俺を見る。
俺は立ちあがり園長のところへ向かう。

「園長。午前中少し北野をお借りします。そして飛鳥も連れて帰りますよ」
「ちょっとアンタ何言ってんのよ」
「詳細は戻ってからお話しします。夕方には頭を下げた役人たちが園長に頭を下げに来るでしょう。では…」
「ちょっ一体どういうことなのよ!説明しなさいよ!」
興奮する理事長を尻目に俺は食堂を後にした。








「いい。作戦通りにいくからね」
「うん。じゃあ早速キー抜いてくる」
「じゃあ私は車を用意してくるね」
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